可能性のど真ん中

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実感を大切に。自分を大切に。

こんにちは。24カクです。

新年あけましておめでとうございます。

昨年も色んなことがありながら、ちゃんと生き延びて新年を迎えられたこと、新年からブログを書いていられる環境にいることができて良かったなと思います。

実体あるもの

昨年は秋頃から、仕事でとっても大変なタイの案件を担当するようになり、10月以降は「よく働いた!」という以外の記憶がほぼありません。新年またタイで働いて来ました。

11月後半からの1ヶ月間は文字通り休みなし、タイの現場で働き続けてました。

20代でヨーロッパに駐在してた頃、一年以上無休で働いていたことがあります。ストレスが増す一方で、同じ境遇で苦労を共にした同年代の仲間とは「絆」と呼べるものが生まれ、転職した今でもたまに会うと当時共有した時間と雰囲気の中で過ごすことが出来ます。

こうして「会社」という組織で必死に仕事をしているとき、いつも不思議な感覚になります。

「会社」というのは実体があるようでないもの。

現在勤める会社でも個人の事情に合わせて在宅勤務をしている方、僕のように頻繁に海外出張に出て出張先で仕事をしている現状では、「会社って何だろう」と考えた時に「同じ場所で働くこと」という定義を用いるのは難しい。

  • これは「会社」の問題だ
  • 「会社」として何とかしないといけない

こういうときの「会社」というのは何を指してんるんだろう?
いつも違和感があります。

  • 問題にしないといけないのは「会社」ではなく、いつも「自分」
  • 何とかしないといけないのは「会社」ではなく、いつも「自分」

会社の風土に問題があるのなら、その風土を綿々と許容してきた「人」に問題がある。

実体というものはいつも「人」にあるのであって、その集合体としての「会社」「組織」なんてものには特に実体はないんだと思う。会社なんてものは、ある日何かの加減で急に倒産してなくなるかも知れない。ある日何かの加減で給料が払われなくなるかも知れない。

意識的に、無意識的にいつもそんな感覚がある。良くも悪くも、ぼくは「組織」的なものとはいつも一定の距離を取っているんだと思います。

だから「この会社に骨を埋める覚悟で」なんて言葉には違和感がある。骨を埋める相手は実体のない「会社」なんかではなく、「自分」だ。骨を埋めるレベルで仕事をするのは実体のない「会社」のためではなく、自分の納得感を高めるためだ。苦楽を共にしたお客さんや仕事仲間との間に「絆」と呼べるレベルの繋がりを感じて、自分を喜ばせるためだ。

実体というのは「会社」や「組織」という「ふにゃふにゃしたもの」をいくら覗いたって見つからない。

実体というのは、自分の納得感や人との繋がりという実感の中にある。


そう、実体というものはいつでも実感=自分の中にある

実感の積重ね。その先にあるもの。

実感こそが大切なんだと思う。

仕事も遊びも趣味も家事も子育ても何でも、それらはただのきっかけであって、それらの体験を通して感じたことが一番大切。

愛情や絆、嬉しさ、喜び、悔しさ、葛藤、軋轢、違和感。ああしたい、こうしたい、好き、嫌い、気持ちいい、心地悪い。ドキドキ、失望。


生きるってことは、これら実感の積み重ね、感じることの積み重ねのことだと思ってます。


大変な仕事を乗り越えた先に感じる達成感も、寒いことろから帰って温かいお風呂に入って感じる気持ち良さも本質はきっと同じ。


これらの実感の幅広さが、人生の幅広さなんだと思う。


だから、どんな経験=きっかけもそれを味わい尽くせばいい。

「人生において無駄な経験はない」というのは、きっとそういうこと。

会社や組織なんて実体の無いものに価値があるのではなく、実感することに価値がある。


実感を大切にすること。
それは自分を大切にするということ。


年始の出張を終えて、ついさっきタイから帰国しました。

日本寒いですね。冬の早朝、凛とした寒さが気持ちいい。


今日も生きてるなーって思います。


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