可能性のど真ん中

発信テーマは海外・子育て・英語・ボディメイク・思索。自分の見ている世界と経験が誰かのお役に立てたら嬉しいです。

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充実感を求めるという矛盾。惰性に生きる退屈。

こんにちは。24カクです。

社会人になってから一貫して海外を舞台に仕事をしていますが、直近のメインの仕事は日本人相手のガチガチの商務交渉。
目の前の大きなプロジェクトが遅延していて、日本法人のパートナー各社を相手に、その遅延は誰の責任か、損害は誰が補填するか、そんな話です。
この仕事内容自体はいいのですが、「日本人相手」というのがぼくにとっては実は初めてであり、海外の方々相手に英語でガンガンやるリズムとは全く違い、なかなかストレスのかかる状況。しかも劣勢、結果を出すのはかなり難しそう。。

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この仕事を任されるようになる直前までが順調すぎたというか、「慣れた仕事」ばかりをしてたんです。進め方も、そして結果さえも始める前から想像できてしまうプロジェクトばかりを担当していたんですね。刺激的という世界からは程遠かったし、平たくいえば退屈してました。

惰性に生きるという退屈。

でも人ってラクチンでいたいですよね。慣れた環境が一番だし、ストレスのかかる面倒な状況や、面倒が予想される出来事からはできるだけ遠ざかっていたい。ぬくぬくの毛布にくるまれたところから出たくない、その環境を変えたいとは思わない。

  • 今日と同じ振る舞いを明日もすればいい。
  • 今日と同じ行動パターンなら明日も上手くいく。
  • そうすれば、明日も生き残れる。

そう、「明日も生き抜くこと」を本能として身体の隅々までインプットされたぼくらが目指すのは、「慣れた環境で安全で平和に暮らすこと」であり、それを脅かすものをできるかぎり遠ざけること。

ストレスなく食事にありつけて夜になったら安心して眠れる。日常の何気ない出来事を話せる相手がいて、良好な関係を保てている。この状態こそが、「明日も生き残る」という本能の要求に応えるあり方だと思う。


でも、なんでなんだろ。

そういう時間が続くと退屈してしまうのって。求めていた平和で安全な「安定状態」をせっかく手に入れたのに。

退屈を超える刺激が欲しい、充実感が欲しい、「生きてる」という生々しい喜びを思いっきり感じたい。。そう思ってしまう。

どうしてなんだろ。


日本は豊かになり過ぎて、よほどのことがない限り食いっぱぐれる事ってないですよね、多分。

でも豊かになっちゃったからこそ、本来の人がもつ本能の要求を超えて、過剰な「ナイモノネダリ」をしちゃってんだろうか。

それとも、「成長したい」「生きてる実感が欲しい」という欲求も予め組み込まれた本能の一部なんだろうか。農耕が発明されるはるか以前、狩猟で生きていた時代の名残なんだろうか。今日明日の獲物にありつけるか分からない大きなストレスの中、獲物を手に入れた時の爆発的な喜び、そんなプログラムがあらかじめインプットされてるんだろうか。

充実感を求めるという矛盾の中で。

明日を生き抜くため、生き残るため、
慣れた環境で安全で平和に暮らしたいと願う。

やがてその状態に退屈して、充実感や生きてる実感や喜びが欲しいと願う。

そのどっちもがほんとの姿なら、ぼくらは矛盾した世界に生きてるんですね、やっぱり。

もうそこはどうしようもない。

  • 苦しみや痛みの先にしか充実感はない。
  • 痛みのない優しさはない。
  • 辛さを超えて、あとから振り返ることでしかその意味は分からない。

どれもが、ほんとのことだと思います。


生きてりゃしんどいことも面倒くさいことも沢山やってくる。「苦しさの意味」なんて悠長なこと考えてる余裕もないほど辛い時期もあります。

もう前なんて向いてられない、ひたすら下を見て生きたって、そんな人生だって別にいいじゃないの?って、ネガティヴ満載になるときもありますよね。

でも、そんな辛さや苦しみも全ては「生きてるんだ」という、人生の生々しい喜びを感じるため。感動したい。歓喜が欲しい。


だから、

ぼくはこれからも痛みと苦しみと辛さを避けることなく、しっかりと正面からぶつかりながら生きていきたいと思ってます。


目の前の幸せに価値があるように、苦しみや痛み、辛いことにもしっかりと価値を見出せるように。


充実感を求めるという矛盾を受け止めながら。


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