可能性のど真ん中

豊富な海外経験から、"常識"に縛られず、独自の視点から日頃感じていることを発信してます。

【スポンサーリンク】

自由というもの。厳しさの先にあるもの。

こんにちは。24カクです。

タイ出張から帰ってきました。

先日の記事の通り現地での仕事はぼくの専門外の技術的内容が主で、想定を遥かに超える厳しさだったのですが、腹を括って何とかひと山乗り越えました。

www.24kaku.com


久々に日本の職場に戻ってきて真っ先に感じたのは、

「自由」という感覚です。


自由であるということ

タイに行く前と帰ってきた後で職場は同じですし、目の前の業務も出発前と変わりません。

ただ、ぼくの感覚だけは大きく変わったという実感があります。

今日も色々と仕事で想定外のことがあったのですが、
以前なら、

ヤダなー

とか、

めんどくさいなー


なんて心に感じていたところが、何もマイナスなことを感じなくなった。

まるで、問題山積な状態が初めから前提であるみたいに。


タイで専門外のことでも何とか乗り越えることができた、という自信から来るものもあると思いますが、

それよりも、腹を括って厳しさの中に飛び込み、「厳しい」という状態を日常のものにした、自分にとって当たり前のものにしたということ。


それがこの「自由」な感覚に繋がってるんじゃないかなって、思ってます。


自由の裏付けには、自分に対する厳しさがある


そう感じてます。

生き方、も多分一緒。

  • 自分の感覚を信じる。
  • 軸をぶらさない。
  • やりたいことに忠実に生きる。


人が他者との関係性の中に生きる社会的な存在である以上、こういった生き方はおそらく厳しいはずです。


他者から理解されないかも知れない、承認されないかも知れない。


「自分を信じて生きる」というのは言葉にすると収まりが良いですが、その現実は厳しいはず。

他者から理解されなくても果たして自分の感覚を信じられるか?

身近な人に反対されても、自分の軸を守り続けられるか?

社会的な評価が無くても、自分のやりたいことを続けられるか?


これらの問いに対して自信を持ってyesと言える人。

そんな人は、「自分に対する厳しさ」を最初から内在化して持っている人なんじゃないかな。


逆に言えば、


自分に対する厳しさを持った人に対して、社会は自由なところなんじゃないかな。


自分に対する厳しさを持つ


その先には息苦しさというマイナスでは無くて、

「自由」という名の可能性が広がっている。


きっと、そういうことなんだと思います。


【スポンサーリンク】