可能性のど真ん中

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「素直」と「従順」のはざまで。大企業から転職して思うこと。

こんにちは。24カクです。


「素直」でいたい。

でも、「従順」はイヤだ。

こう思ってます。


今回は、この「素直」と「従順」について、転職をきっかけにして思うところを書いてみます。

大企業にいた時代の「素直」と「従順」

数年前まで従業員数何万人規模の大企業に勤めてました。

同期入社組だけでも数百人という単位。
はっきりとした数字は忘れましたが、ぼくの時だと同期だけで600人とか700人くらいかな。

そして、「○○年入社」という背番号がずーっと付きまとう、完全なるピラミッド型。

例えば入社年次が3年程度違うだけでも、将来的に上司、部下の関係になり得るわけで、この「○○年入社」という背番号はかなり強固な力を持ちます。3年後に入った後輩に比べて、「3年分の業務レベルの違い」を結果として出し続けなきゃならない。

そうじゃないと「出世」できない。


過去記事にも書きましたが、大企業に入る人達というのは、(以前のぼくも含めて)他人からの評価の目を勝手に自ら内在化してしまっている「良い子ちゃん」達。

「評価される自分でなきゃいけない」といった、息苦しい無言のプレッシャーの中にいます。


誤解と偏見を恐れずストレートにいえば、大企業というのは、

  • 出世という名の評価がすべて
  • 失敗して、ひとたび評価=出世のルートから外れたら後戻りできない
  • 入社何年目でどんな仕事をして、どんな役職にいるか。それによってその後の出世具合がある程度想像できる。

大体、こんな感じです。

「大企業」と一言でいっても社風は色々だとは思いますが、よほどセンスのある斬新な経営者のいる会社じゃない限り、内部の様子はほぼ同じだと思います。

だから、上位役職者の言うことには基本的に従わざるを得ない。


こういう構造の組織で一定期間働いていて、何が起こるかというと、

「従順」でいることが普通になります

入社当初には感じていた違和感も徐々に薄れていき、「素直」なんて言葉は忘れてしまう。

自分の感覚に素直でいる、なんてことは優先事項に入らず、優秀な上司や先輩のやり方が「正しい」ものになってしまう。それを自分の中で「正しい」ものにしてしまう。

出世したいからです。
出世しないと活躍の場がなくなる、それが怖いからです。

良い子ちゃんとして、「他人の評価の目」を勝手に自分の中に埋め込んでしまっているので、なおさらです。

自分の「素直」さを前面に出した結果、評価されない、評価されない存在になってしまう、それが怖いんです。


結果、仕事のやり方も過去の慣例などを参照して「間違いないだろう」という意見しか言わなくなる。
それが、上司や先輩に受け入れられるやり方だからです。

そうして、みんな例外なく「従順」になっていく。

転職してみて

数年前に数百人規模の会社に転職しました。

以前務めていた大企業とは全く違う風景がそこにはありました。

  • とにかく、「組織立った」仕事をしていない。
  • 「評価」という点でのプレッシャーを感じてそうな人が、あまりにも少ない
  • 上司、先輩の言うことをあまり聞かない人が一定数いる。。


最初、あまりの風景の違いに、めちゃくちゃ戸惑いました。

なんじゃこれは?って感じです。


今勤めている会社の社風も大いに影響しているとは思いますが、小規模な会社ではピラミッド型の官僚組織みたいなことでは仕事が回っていかない、
そんな組織形態を維持しているだけの余裕がない。人数に余裕がないから。

だから、良くも悪くも自由がある。組織の中に「すきま」がある

管理職は部下の管理だけをしている、そんな余裕はないわけです。

要は、前提からしてピラミッド構造がやや崩れており、必ずしも「従順」である必要がない


転職して、自分も随分変わったなと思います。

「評価」の目なんて気にしなくなった。
いつも従順でいる必要なんてないんだと分かった。

大切な「違和感」が復活しました。

自分の「素直」な感覚でもって、目の前の仕事、上司の指示を自分はどう感じるのか
そんな心を取り戻した気がします。

違和感の残る指示にはその真意を確かめ、意見してみる、別のやり方を堂々と提案してみる。
そうなりました。

もちろん、転職したとはいえ、ぼくもサラリーマンですから、意見が通らないときには最後は上の指示に従います。

でも、大企業にいた時と大きく違うのは、組織にすきまがあること。

そのすきまに、自分の「素直」を差し込む余地が大いにあること。

素直と従順のはざまで

できることなら、素直な気持ちに従って生きたい。

誰かの考え方や、やり方に従順になんてなりたくない。

素直な気持ちに従って行動したことが誰かの心に届いたら、喜んでくれたら、そんなに嬉しいことはない。

そうですよね?


でも、前々回の記事にも書きましたが、

人は社会的な生き物である以上、誰かからの承認や理解が必要で、
自分とは違う価値観や考え方とも何とか折り合いをつけて生きていかなくちゃいけない。
そして、同時に自分の信じる感覚、価値観も大切にしたい。

そういうもんだと思います。


「従順」だけでは辛い。自分の感覚や価値観=素直も大切にしたい。
同時に、自分の純粋さ、「素直」だけを押し通す人生も辛い。それじゃ誰にも理解されないかも知れない、承認されないかも知れない。


素直な心で生きていきたいと願いながら、

結局ぼくは「素直」と「従順」のはざまに生きているんだなと思います。


でも、ひとつ大切なことがあります。

何か納得いかないことがあって、でも結果として従ったり周りに合わせることがあっても、
素直な心があれば、違和感が残るはず。

その違和感を「 」(かっこ)付で心に留め置くこと。忘れないこと。

その違和感、葛藤を宝物として大事に持ち続けること。

素直な心から生まれた、そんな違和感や葛藤はきっと誰かの共感を生むはず。

誰かの役に立つはず。

生きることは簡単じゃない。
でも生きることにもし意味があるとしたら、きっとそういうことなんじゃないかな。


そう思ってます。


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