可能性のど真ん中

豊富な海外経験から、"常識"に縛られず、独自の視点から日頃感じていることを発信してます。

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「大学行かなくていい論争」について。

こんにちは。24カクです。

「大学なんて行かなくていい」というテーマで、ツイッター上の論争が盛り上がっているようですね。
読者登録させて頂いている人気ブロガーさんの記事を頼りに知りました。

この論争に加わろうという意図でこの記事を書いてる訳ではなく、また、具体的な議論に対して意見するつもりもないのですが、


こういう議論自体が沸き起こるのは良いことですよね


ぼくが大学を選んでる時にはこういう議論がここまで公にされることはなかったですし、ぼく自身も「大学というのは行くべきところだ」と勝手に思い込んでました。


LGBTの議論然り、これまで表面に出てこなかった多様性が表面化してきたことの現れで、それ自体は歓迎すべきことなんじゃないかな。

  • 今まで焦点を当てられなかった人たちの姿が見える
  • 「当たり前」と思われていた価値観に疑問が投げかけられる
  • そして、議論する


これまで見えてなかったものが浮かび上がってくる。


本質に迫るってことですよね。


こういうのいいですよね、とっても。

世の「当たり前」を見直したい

以前、ブログを始めたばかりの頃、娘に何気に質問されてぼくがきちんと答えられなかった、「開会式の存在意義」について記事を書きました。

www.24kaku.com


この時は、

  • 大人が当たり前と思って、普段見過ごして通り過ごしているものに対して、子供はその純真さで持ってズバッと本質に迫ってくる、
  • 大人は「経験」をとかく重宝しがちだけど、実は経験を重ねることの弊害ってあるんじゃないか、
  • 経験を重ねることで逆に見えなくなるものがあるんじゃないか、

こんなメッセージを伝えたくて記事を書きました。


今回の「大学なんて行かなくていい」論争も同じかも知れないですね。


経済が右肩上がりの時には、給料が良くて生活の保証度、安定度も高かった大企業。

そこに辿り着くために必要だった「学歴」パワー。

でも今は大企業にいることが逆にリスクかもという現実が共有され始めた。さらに会社勤めしなくてもある程度稼げる世の中がやってきた。ゲームの前提が変わっちゃった。

かなりの程度、社会で共有されていた常識、そして経験則が通用しなくなった。

こういうことですよね。


と、ここまで書いてみて、一つの大きな疑問が。。


じゃあ、、

開会式の存在意義に疑問が呈される、そんな前提ってどんな状況なんだろう。

開会式という、「当たり前」を疑うきっかけって一体。。



そう、勘の良いみなさんなら既にお気付きのはず。



上に貼り付けた、ぼくの関連記事を読んでくださいということ。。

です。



追伸:
話題のテーマをタイトルにしながら何も意見しないのはやっぱりダメかなと思い直しました。

大学なんて行かなくていいのか?行ってる人は辞めた方がいいのか?

ぼくの答えは、「分かりません」。

みんな人生いろいろ、何を目指すのか、目指さないのか、価値観も考え方もいろいろだから。

でもひとつだけ言うとしたら、自分の感覚を信じて自分で決めればいいんじゃないかな。

大学に行くかどうか、辞めるかどうか、そんな大切なことは自分の感覚を信じて自分で決断すればいい。

そうすれば、結果がどうなろうと自分の人生に対する納得感は高まるはず。「自分で決めた」という事実が、後々自分に自信を与えてくれるはず。

そのことが、人生どう転ぼうと、一番大切な「生き延びる力」を与えてくれるんじゃないかな。

そう思います。


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