可能性のど真ん中

豊富な海外経験から、"常識"に縛られず、独自の視点から日頃感じていることを発信してます。

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「異文化理解」の目指すもの。

こんにちは。24カクです。

「異文化理解」って、いい響きがしますよね。

自分とは異なる文化や習慣に関心を持つ。敬意を払う。

  • 自分の常識が、ある人にとっては常識ではないことを知る。
  • 文字通り、視点が広がる。
  • 自らを相対化して、客観視できるようになる。


人間的成長という観点からも、とっても意義のあることだと思います。


でも、ぼくにはやっぱり違和感があるんです。


「異文化理解」って、そんなキレイ事なんだろうか
、って。

「異文化理解」は難しい。

大学を休学しての途上国でのボランティア経験や海外旅行に始まり、社会人になってから現在に至るまで一貫して海外をフィールドに仕事をしています。
ヨーロッパに駐在もしてました。
今でも年間25回から30回は海外出張をします。(この記事も海外出張帰りの飛行機の中で書いてます)
まとまった休みには海外に旅行もします。娘にも海外と多く接して欲しいと思うからです。

そうして、ずっと「海外」と接点を持ってきて思うこと。


異文化を「理解」するのは本当に難しい。


そして、


異文化を「受け入れる」なんて、もっと難しい


どのレベルの「異文化理解」か。

近所のカルチャーセンターに行けば、「国際交流」みたいなお題目で、異国の民族衣装を着せてくれたり、民族楽器を弾かせてくれたり、ってあると思います。

こういうのは何も違和感ないと思うんです。そういう体験とともに一言解説でも貰えれば、「へー、勉強になった!」っていう世界だし、知らないことを知るという観点からは意味のあることだと思います。


でも、


自分の価値観の根底を揺るがすような体験ならどうでしょうか?

日本人なら、

  • 時間をきちんと守ること
  • 他人に迷惑をかけないこと
  • 迷惑をかけたらまず謝ること

こういうことを子供の時からイヤというほど教え込まれ、価値観として染み付いていると思います。


それは日本人にとっては、総じて「美徳」といっていいもの。


これが海外に行って現地の人が、

  • 約束の時間に平気で遅れて来た
  • でも謝らない
  • 並んでる列に平気で割り込んできた
  • でも謝らない
  • 公共交通機関で大音量のスマホで動画を流し続ける。


イラッと来ませんか?

日本人の根底にある美徳感覚と衝突するからです。

「理解」出来ますか?

「受け入れる」なんて、もっと遠いのでは?


ぼくもイヤというほどそういった経験をしてきました。
今のぼくには慣れがあるので、そういった経験をしても昔ほど感情が動くということはありません。

でも、「受け入れる」ということは出来ません。


そんな簡単に自分の美徳感覚を書き換える、ということは出来ないからです。

ただ、それでいいと思ってます。


「異文化理解」の目指すもの

「文化相対主義」という概念があります。

全ての文化は互いに相対的に価値がある=何か特定の文化だけが絶対的な価値を持つのではない、
こういう話です。

異論はないんです。

ただ、互いに相対的で個別に価値のある文化同士が、それぞれの美徳感覚を揺るがすようなとき、
そこにはキレイごとでは済まない世界がある。

でも、それでいいと思ってます。

まずは、違和感そのものを認めることから始めればいい。


違和感を突き詰めること。それは、自分のルーツ(美徳感覚のもと)を知るということ。

自分のルーツを知るということ。それは、謙虚でいれるということ。


何歳になっても謙虚な人間でいられたら。

「自分が正しいんだ!自分の経験が全てだ!」なーんて、ちっちゃな世界観から少しでも離れたところにいられたら、

ちょっと素敵だと思いません?


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