可能性のど真ん中

豊富な海外経験から、"常識"に縛られず、独自の視点から日頃感じていることを発信してます。

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「コミュ障」なんていう言葉が生まれる背景。

こんにちは。24カクです。

前回の記事で、

  • 「コミュ障」という言葉は使うのやめましょうということ、
  • 人に合わせたり、コミュニケーションを取るのが苦手な人がいてもいいじゃないですか?

という話を書きました。

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そのあと、また少し考えてみて、そういう不思議な言葉が流通するのは、個人が好むと好まざるとに関わらず、一定の社会的需要があってのことかも知れない、と思いました。


背景を勝手に推測

この何年か若い子たち、年齢でいえば20代の子たちと話をしていて思うのは、

「会話の上手な子が多いなー」という実感です。

会話が滑らかだし、洗練されてるというのとはまたちょっと違うんですけど、少なくともその場を楽しく出来る、決して相手を傷つけない。

そんな印象を持っています。


日本経済がその活力を失って久しいですが、それと関係してるんでしょうか。


昔と違って、競争に勝って這い上がって行く!みたいな状況は、大企業でもこれから益々そんな機会を失って行くでしょうし(昔ながらの大企業ほど、その組織の性質上、意思決定に斬新さを付与しようがなく、トップがよほどの危機感とセンスを持っていなければ、このご時世、仕事の機会はどんどん減って行くと思います)、

そうやってパイの総体が増えないのなら、小さなパイを分け合って生きて行きましょう、

というような、

そんな価値観というか、"空気"が今の社会にはあるのかな?

そういう社会では、

  • トンがったことをせず、
  • トンがった意見を出さず、
  • 人に合わせる、
  • 円滑なコミュニケーションを取る、

といったことが優先される、

というより、

大げさに言えば、「生存戦略」になるのかな?

なんて、思いました。

そういった人が多数派を占めるようになれば、そこからはみ出る人、つまり人に上手く合わせられなかったり、コミュニケーションが苦手な人に対して、何か名前を付けたくなる、

こういう背景で「コミュ障」なんていう言葉が流通するようになったんでしょうか。


そんなことを考えていました。

いくつか補足

ここまで一気に書いてみましたが、誤解を招く可能性大だなー、と

以下いくつか補足です。

  • 当然ですが、ぼくという一個人の極々限られた生活範囲/考察範囲の中で思うことなので、「若手は会話が上手」という前提自体に異論ある人はいると思います。(いて当然)
  • 人に合わせるのが上手、コミュニケーションが上手い、というのは社会で生きて行く上では"特技"といっても良いものですから、何も否定するつもりはありません。
  • もちろん今の20代でも、なにも周りに合わせることだけを主眼とせず、トンがった意見をバンバン出してる人もいると思います。リスクを負って起業してる人もいますもんね。
  • ただ、「コミュ障」なんていう不思議な言葉が出て流通するには、何か時代的背景があるのかなー?と思いました。

そういえば、KYという言葉があったな。。


そういえば、ぼくの20代の頃には、

KY=空気(K)読めない(Y)

なんて言葉がありました。
今も使ってる人いるんですかね?

と、この話を書いてて思い出したのは、
当時何かのラジオ番組でDJの方が、

「『頭がいい人』というのは、お勉強が出来る人のことではなくて、空気が読める人のことを言うと思うんですよねー」

なーんて、陶酔感たっぷりに語ってました。


いや、言いたいことはもちろん分かるけど。。何だそれ。。


って、思っちゃったこと、
思い出しました。


なんかこういうの、ほんとに「日本らしい」ですよね。


現時点で言えば、昨今流行りの「忖度(そんたく)」の原型そのものですもんね。


以上、とりとめのない文章になりましたが、思索の1つと思って頂ければ。

お付き合い頂いて、ありがとうございました。


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